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社会不適合?

最近こういう表現をよく見聞きするが、「不適合」ってのは「適合してない」って理解で良いんだよな。

睡眠障害とかヒキコモリとか(自分のことだけど)、それが原因で社会的生活が困難になるとそれらを「病気」として扱いたい人も多くいるようである。
つまり、社会(ここでいう社会ってのは僕の表現したい社会ではないけど)生活不適合者に対し、なんらかの理由(病気とか)を付けたがるワケだ。
でも、それって多くの場合は本人よりも周囲の人がそうしたがる場合が多くないか?

社会的生活が困難・・・という原因を病気に求めるのが間違っているのではないかと言いたいわけよ。
百歩譲ってそれが病気だったとしても、その病気には原因ってもんがあるわけで、その原因を追求せずに対症療法ばかりを考えていてはダメなんじゃないかな。
ま、本人が希望すれば「○○症」とか適当な名前を付けて病気にしても良いんだろうが、 周囲の人たちが病気と決め付けてしまっては健康な人でも病んでしまうのではないかと恐れているわけである。そんでその「社会」ってのはなんなんだ?ってとこだ。

社会契約説とかで説明されているのをそのまま解釈すると、人間ってのは生まれながらに自然状態ではないってことなんだよね。
人生のあらゆる過程(教育)でそれぞれの人々が「社会」というものを認識して成り立っているのがこの社会である。
それぞれの認識ってとこがミソだ。
みんながみんな同じレベル(高低を論じているのではない)の認識であるはずが無い。
十人十色、その考え方は違って当然である。

そんな社会不適合の判断・・・つまり病人かどうかの判断を下すのは、最終的には本人の意識だろうって考えるわけ。
本人は周囲が思ってるほど不幸じゃないかもしれない。
・・・その逆に幸せじゃないかもしれない。。。

もし、そんな人をお節介にも「助けたい」とか思っているのであれば、ただ病名を追求するのではなくて原因を取り除く手伝いをするべきなんじゃないかと思う。
風邪をひいたら風邪薬・・・ってんじゃなくて、寒くないように、栄養つけるように、手洗いやうがいをするように・・・という予防策を促すのが良いのではないか。
薬をもらうのは簡単だけど、原因を究明し取り除くのは結構難しい。 

永いこと覚醒水準がコントロールできないで、間違ってると思うけど「睡眠相後退症候群」というレッテルを貼られ、理屈は理解できたけど原因がつかめていない僕が言うのだから、きっと多分おそらく間違いない。 


  1. 1suppin

    病名を追求するのが目的ではないと思うよ。
    病気の種類を特定して、「原因を追及しようとしてる」んじゃないかな…

    ただ、医学上は「病気」でも、
    本人も周りもなんも困っていなければ、
    それは「病気」とは診断されないし、すべきではないと思うけどね。

    周りが困っているのに、本人「だけ」が困っていないのであれば、
    それはやはり、何らかの対策が必要だ。
    困り方にもよるのは、もちろんだけど・・・

  2. 2syunro

    そこだそこ!
    周りというのが社会なんだ。
    国や時代によっては、周囲も困らないものではないだろうか?と考えた上での今回のボヤキだったのだけど。。。

    周囲に責任を押し付けるつもりはないのだけど、正常な社会状態を維持していれば周囲も困らない程度の問題で片付けられる場合もあるのではないだろうか?
    周囲が困っているのは、本人への依存度が高すぎるのではないか?

    その上、本人が周囲を困らせているつもりはない場合。。。

    ・・・などと考えてみることもあるわけ。

  3. 3suppin

    「国や時代」と言うより、「環境」によっては、誰も困らずに生活できると思う。
    そして、その環境は作ることが可能。
    病気の種類を特定する作業は、レッテル貼りなどではなく指標を掲げるに過ぎない。
    その指標によって、本人や周囲が環境を整えていく作業が「治療」だと思うのだけど、切ったり貼ったり薬を飲むだけだったり、と、本人だけにその作業「お任せ」している方法では、改善されるモノも改善されないだろう。

    指標が間違ってれば、作ろうとする環境も改善へは向かわないだろうけどね。病名が病の「本質」ではなく「現象」になってしまっている場合・・・とか。

    また、周囲を「困らせている」のではなく、周囲が勝手に「困っている」のだと、私は考えるようにしている。
    意に沿わない場面に直面したときは、相手の指標(判っていれば)を見て、その現象を理解しようとするし、更に、自分の指標によって感情をコントロールできるようにする。(繰り返しトレーニングが必要だけれどね)

    そういう意味では、「病気」とまではいかないまでも、自分の特性(特異性)を把握することは大事なことだと思う。

  4. 4syunro

    >病気の種類を特定する作業・・・
    う〜む、やっぱり「病気」という区分になるのか?
    「生活習慣の差」でしかない場合もあるだろうに。。。
    あ、つまり「特性」か。

    ま、その程度を「病気」と表現している社会があって、適用された人にプラスであっ
    たりマイナスであったりするわけだ。

    まぁ、これだけ「特性」に「病名」をつけてる社会になると、ほとんどみんな「病人」
    なわけだが、そういう状況を理解して生活している人たちは少ないんじゃない?
    ・・・身についてる人はいるみたいだけど。。。。

  5. 5suppin

    そ、程度の差こそあれ、みんな「病気」だ。
    「個性」って言われて済んでる場合もある。
    「病気」は「悪」って思わないことだ。

  6. 6syunro

    今日の秋葉原の事件のようなのは「個性」とか「病気」では済まないよな。
    もしあんな方向に自分の思考が行ってるとしたら・・・とか考え出すと恐いな。

    いや、別に人を殺したいわけじゃないんだけど、人生がいやになりそうなことがあるじゃん。
    僕の場合はたまに自分の(自分に対する)存在価値を疑ったりするわけだけど、今のところ乗り越えてるみたい。